タバコを捨てた若者は、なぜ「カラフルな猛毒」を選ぶのか
成人の日のモヤモヤ
毎年1月になると、少し居心地の悪い議論が繰り返されます。 「18歳で成人、でもお酒とタバコは20歳から」。 2022年の民法改正以降、このねじれ現象に対して「権利と責任はセットであるべきだ」「いや、健康被害が心配だ」といった声が飛び交います。
確かに、論理的には「18歳で一律解禁」が筋でしょう。欧州のように、大人としての権利と責任を同時に渡す。それが本来の成人のあり方かもしれません。 でも、ふと思うのです。 仮に法律を変えて、解禁年齢をいじったとして、若者たちの行動は本当に変わるのでしょうか?
実は、彼らを動かしているのは、六法全書に書かれた「ルール」ではありません。もっと直感的で、抗いがたいもの──「美意識」です。 昭和から令和へ。若者たちの手元にあるものが、どう変わり、なぜ変わったのか。そこには、法律論では太刀打ちできない、残酷なまでの「空気の変化」が見えてきます。
アランドロンが去った日
少し昔話をしましょう。 昭和41年、成人男性の5人に4人がタバコを吸っていた時代がありました。 当時も「20歳未満禁止」の法律はありましたが、実態はあってないようなものでした。なぜなら、そこには強烈な「憧れ」があったからです。 銀幕の中のアランドロン、紫煙をくゆらすロックスター。 タバコは「大人の男」の証明であり、社会へのささやかな反抗のアイコンでした。法律を破ってでも手に入れたい「背徳的なかっこよさ」が、そこにはあったのです。
ところが今、街からタバコの煙は消えつつあります。 若者の喫煙率は驚くほど下がりました。それは、法律が厳しくなったからでも、彼らが健康オタクになったからでもありません。 単純に「ダサいから」です。 喫煙所は隅に追いやられ、値段は上がり、「タバコ臭い=清潔感がない」という価値観が定着しました。かつてのアランドロン的な美学は崩れ去り、今やタバコは「コスパの悪い、時代遅れの嗜好品」へとリブランディングされてしまったのです。
彼らは法を守ったわけではありません。「ダサいこと」をしたくないという、現代的な美意識に従っただけなのです。
「きれいな猛毒」という罠
タバコが捨てられた一方で、今、スマホの画面の向こうで不穏なものが流行っています。 大麻や、市販薬の過剰摂取(オーバードーズ)です。
警察庁のデータを見れば、大麻検挙者の7割が若者ですし、教室のクラスに一人は市販薬乱用の経験者がいるという調査結果もあります。 かつての「シンナー」を思い出す方もいるかもしれません。しかし、決定的に違うのはその「見た目」です。
シンナーは臭くて、歯が溶け、いかにも「破滅」の匂いがしました。やるには相当な覚悟が必要だったはずです。 でも、今の彼らが手にしているのは、まるで輸入菓子のようなカラフルなグミや、きれいに包装された錠剤です。臭いもなく、見た目はあくまでクリーン。 SNSを開けば、「チル(くつろぎ)」「メンタルケア」といった耳心地の良い言葉と共に、パステルカラーの錠剤が美しく撮影されています。
中身は脳を破壊する劇薬です。昭和のシンナーとなんら変わりません。 けれど、そのパッケージがあまりに洗練されているため、若者たちの目には「汚い犯罪」ではなく、「自分を救ってくれる、ちょっと危険なファッションアイテム」として映っています。 これは、教育の敗北というより、マーケティングの完全なる勝利と言えるでしょう。

「反抗」ではなく「鎮痛」
なぜ、彼らはそこまでして薬を求めるのでしょうか。 昭和の不良たちがタバコをふかしたのは、大人や社会への「反抗」でした。「俺たちを縛るな」という、外向きのエネルギーです。
しかし、今の若者がオーバードーズに走る理由は、もっと切実で、内向きです。 「生きづらい」「将来が怖い」「人間関係が辛い」。 そんな痛みから一時的に逃げるための「鎮痛剤」として、彼らは薬を飲みます。
だからこそ、「ダメ、絶対」という禁止の言葉は届きません。 痛みに耐えかねて鎮痛剤を飲んでいる人に、「それは法律違反だ」と説教しても意味がないのと同じです。むしろ、唯一の救いを奪おうとする大人たちへの不信感を募らせるだけかもしれません。 しかも今は、SNSで検索すれば、顔の知らない売人から数秒で薬が買える時代。物理的な遮断も不可能です。
私たち大人が突きつけるべき「鏡」
法律も、禁止の言葉も無力だとしたら、私たちに何ができるのでしょうか。 ヒントは、タバコが消えた理由にあります。 タバコは「体に悪いから」ではなく、「ダサいから」捨てられました。 ならば、薬物対策も同じ道を行くしかありません。
「薬をやっている君は、悲劇のヒロインでもなければ、ファッショナブルな存在でもない」 「ただ、脳が溶けて、おむつを履かされて、搾取されているカモに過ぎない」
恐怖を煽るのではなく、その行為がいかに「美しくないか」という事実を、冷徹な鏡のように突きつけること。 オーバードーズの果てにあるのが、アランドロンのようなダンディズムではなく、泥酔して失禁する無様な姿であることを可視化すること。 「薬=ダサい」という空気が作られない限り、きれいなパッケージに包まれた猛毒は、これからも彼らを魅了し続けるでしょう。
成人式のニュースを見ながら
成人の年齢をどこで線引きするか。それはそれで大事な議論です。 でも、法律という「枠」だけで若者をコントロールできる時代は、とうの昔に終わりました。
彼らは、私たち大人が思う以上にシビアに、そして美意識に従って生きています。 昭和の若者がタバコの煙に夢を見たように、令和の若者はカラフルな錠剤に救いを求めている。 その切実さと危うさを直視しないまま、「法律だからダメ」と思考停止していては、いつまでたっても彼らの心には届かないのかもしれません。
ひとりで抱え込まず、
まずは「相談」を。
秘密は厳守されます。警察に通報されることはありません。
あなたの状況に合わせて相談先を選んでください。


