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外国人ドライバーが変える、日本の共生社会

物流業界が先行する、共生社会への実験

2026年3月12日、外国人ドライバーの受け入れに積極的なサカイ引越センターが、同じ日に二つの発表を行いました。

一つは、インドネシアに外国人ドライバーの育成拠点「サカイアカデミー」を設け、来日前から日本式の引越し教育を行うという計画。もう一つは、スタートアップ「T2」と組んで、東京と大阪・神戸間の約500キロを自動運転トラックで家財輸送する実証実験の開始です。

「人を育てる」と「機械に任せる」。一見、真逆に見える二つの戦略が同じ日に発表されたことは、個人的には偶然ではないと感じています。それは「どちらか一方では足りない」という、業界が直面している現実への不安の表れなのではないでしょうか。


「引越し難民」は他人事ではない

3月から4月は、転勤や進学が集中する引越しのピーク季節です。「希望の日に引越しができない」という「引越し難民」の問題は、今やニュースで繰り返し報じられるようになりました。

背景にあるのは、長距離輸送を担うドライバーの深刻な不足です。国土交通省の予測では、2030年には全体の荷物の約3割が運べなくなる可能性があるとされています。トラックドライバーの平均年齢はすでに50.9歳で、全産業平均より6.8歳高い。このまま何も変わらなければ、「荷物を運びたくても運べない」という状況が、引越しに限らず、私たちの日常生活全体に及んでくることになります。


自動運転は「万能薬」ではない

サカイ、ハート引越センター、T2が始めた実証実験は、高速道路区間をドライバー乗車のもとで自動運転(レベル2)で走り、将来的には高速道路を無人輸送、一般道は有人輸送という形を目指すものです。

ただ、現時点では、ハンドルから手を放すことができても、車内には人が乗っています。完全な無人輸送の実現にはまだ時間がかかります。また、仮に幹線の自動化が進んだとしても、荷物を積み込み、目的地で丁寧に運び出し、お客様の前に立つ「現場の仕事」は人間が担い続けます。

つまり、自動運転は人手不足の「解決策」ではなく、「緩和策」です。人の代わりになる技術ではなく、人がより本質的な仕事に集中できるようにするための技術、と言ったほうが正確だと思います。


「現地先行教育」でなければ意味がない

そこで浮上するのが、外国人ドライバーの活用です。ヤマト運輸はベトナムで大型トラックドライバーを育成し、2027年から5年間で最大500人採用する計画を進めています。SBSホールディングスはさらに積極的で、10年以内にドライバーの3割、約1,800人を外国人にすると宣言しています。

ただ、外国人ドライバーの受け入れには、大きな落とし穴があります。

2025年10月、外国免許を日本の免許に切り替える「外免切替」の試験が大幅に厳格化されました。従来は合格率90%超だったものが、一気に約30%前後まで低下しています。来日後に免許を取らせようとしても、試験に落ち続ければ滞在期限切れで帰国しなければなりません。雇う側も、雇われる側も、不幸な結果になってしまいます。

だからこそ、サカイやヤマト運輸が選んだ「来日前に日本式の教育を完結させる」というモデルは、今の制度環境においては唯一現実的な方法だと思います。サカイがインドネシアに設けた育成拠点では、日本語はもちろん、交通ルール、安全運転、そして「まごころサービス」と呼ばれる接遇まで一体的に教える。来日したときにはすでに「即戦力」として動ける状態にする。こうした丁寧な準備の積み重ねが、長い目で見たときに大きな差を生むような気がします。


ドライバーは「サービス業」である

「外国人でも幹線輸送なら大丈夫」という声を時折耳にします。確かに、対面での接客が求められる宅配便と比べれば、決まったルートを走る幹線輸送は日本語能力への要求が下がる面があります。でも、「誰でもできる仕事だから外国人でも問題ない」という発想は、少し危ういと感じています。

大型トラックは、公道を走る最も目立つ「会社の看板」です。高速道路のサービスエリアで隣に停まる。交差点で信号待ちをする。住宅地の細い道を通過する。そのたびに、ドライバーの運転マナーと車体のロゴは、周囲の全員が見ています。

追い越し車線を占有しない、合流時の感謝のハザードランプ、夜間の対向車への配慮——これらは交通法規には書かれていませんが、日本の道路文化の重要な一部です。現地での教育がこの層まで踏み込んでいるかどうかが、単なる「免許取得」と「プロとして認められる」の分かれ目になると思います。

物流ドライバーは運搬職ではなく、サービス業です。その認識が、外国人を含むすべてのドライバーへの教育水準と社会的評価を決めていく基準になるはずです。


偏見が溶ける場所

2025年の出生数は70万5,809人で、10年連続の過去最低でした。政府の推計より17年も早いペースで少子化が進んでいます。一方、日本に住む外国人の数は今年2月時点で374万人を超え、前年から約34万人増えています。

この二つの数字を並べると、「外国人を受け入れるかどうか」という議論は、もう成立しないことがわかります。日本人が減り、外国人が増える。これは政策の問題ではなく、人口動態という動かしがたい現実です。問われているのは「どう受け入れるか」、もっと言えば「どう共に生きるか」です。

外国人が「怖い」「よくわからない」という感情は、多くの場合、接触のない想像の中で育ちます。実際に隣で働く同僚が外国人だったとき、丁寧にサービスを届けてくれた人が外国人だったとき、その感情は少しずつ変わっていきます。

社会心理学では「接触仮説」と呼ばれる現象です。異なる集団間で、平等な立場での良質な接触が繰り返されると、偏見は低減されていく。職場の同僚として、サービスの担い手として、日常のさまざまな場面で外国人と接することの積み重ねが、共生社会をつくっていきます。

ただし、「良質な接触」が前提です。教育が不十分なまま現場に送り込まれ、トラブルが起きれば効果は逆転します。「やはりそうだった」という確証バイアスを強化する結果になってしまいます。だからこそ、現地先行教育の徹底は、企業のリスク管理であると同時に、日本社会への投資でもあります。


「まごころ」は国籍を問わない

サカイが掲げる「まごころサービス」という言葉があります。荷物を運ぶだけでなく、お客様の人生の節目に寄り添う、というものです。

インドネシアの育成拠点でこの精神を教えようとしているのは、なかなか挑戦的なことだと思います。文化も習慣も異なる場所で、日本式の接遇観を言語化し、体系化し、伝えていく。その試みが成功するかどうかは、まだわかりません。

でも、この試みが成功したとき——外国人ドライバーが「まごころ」を体現しながら日本の家庭の前に立つとき——それは物流業界の問題が解決するというより、日本社会が、外国人への見方を変えるきっかけになるのではないかと思っています。


二つの発表が、一つのメッセージを伝えている

自動運転トラックの実証実験と、インドネシアでの人材育成拠点の設置。これらをあえてセットで読むなら(私の解釈ですが)、「機械で効率化できる部分はする、でも人が必要な現場では、国籍を問わず最高の人材を育てる」という意志の表明ではないかと思うのです。

幹線輸送の自動化が進めば、残る「人の仕事」はますます対人サービスの質が問われるものになります。そこに、十分な教育を受けた外国人ドライバーが立つ。それは「人手不足の穴埋め」ではなく、「日本の物流サービスの品質を次の世代に引き継ぐ」プロジェクトに見えます。


本コラムで示した企業の戦略的意図に関する解釈は、私個人の見解に基づくものです。

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