沈黙する日本政府——「法の支配」はどこへ行った
2026年1月3日、米国がベネズエラを攻撃し、マドゥロ大統領を拘束しました。主権国家への武力行使、現職大統領の強制排除——これは日本がロシアや中国に対して繰り返し批判してきた「力による現状変更」そのものではないでしょうか。しかし高市政権の反応は、驚くほど曖昧でした。「法の支配」を掲げてきた日本外交は、同盟国・米国の行動を前に、その原則を貫けるのでしょうか。
高市首相、是非を語らず
攻撃から約1日後、高市早苗首相はようやくX(旧Twitter)で声明を発しました。
「日本政府として、これまでも一刻も早くベネズエラにおける民主主義が回復されることの重要性を訴えてきました」「邦人保護に万全を期するとともに、情勢の安定化に向けた外交努力を進めてまいります」
注目すべきは、攻撃の是非について一切言及しなかったことです。
外務省の報道官談話も同様でした。「我が国は、一貫して国際社会における国際法の原則の尊重を重視してきた」——まるで教科書を読み上げるような文言です。米国の行動が国際法に違反するかどうか、という核心には触れていません。
時事通信は政府関係者の声をこう伝えています。
「米国との距離感を考えつつ、これまで言ってきたこととずれないよう慎重に対応した」
「慎重に対応した」——この言葉が、日本政府の苦しい立場を端的に表しています。
ロシアには「違反」、米国には「注視」
思い出してください。2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻したとき、日本政府はどう反応したでしょうか。
当時の岸田首相は即座に「国際法違反」「力による一方的な現状変更」と明言し、厳しい制裁を発動しました。以来、日本は「法の支配」「ルールに基づく国際秩序」を外交の柱として掲げ、G7の場でも繰り返しこの原則を訴えてきました。
中国による台湾への軍事的威圧に対しても、「力による現状変更は認められない」と牽制してきました。高市首相自身、台湾有事への備えを強調し、日中関係が冷え込む一因となったほどです。
では今回はどうでしょうか。
米軍は主権国家ベネズエラを攻撃し、現職の大統領を実力で拘束して国外に連行しました。トランプ大統領は「米国がベネズエラを運営する」とまで宣言しています。
これが「力による現状変更」でなくて何なのでしょうか。
しかし日本政府は、この問いに答えようとしません。
二重基準の代償
この矛盾は、日本だけの問題ではありません。しかし日本にとっては特に深刻です。
小野寺五典元防衛大臣は、テレビ番組でこう懸念を表明しました。
「台湾と中国の問題について、『力による現状変更はあってはならない』と言ってきた。今回のアメリカの軍事行動が悪いメッセージ、危険なメッセージとして伝わらないか。日本周辺の事態に波及しないかと私も心配している」
的確な指摘です。
日本が中国に「力による現状変更は許されない」と言うとき、中国は今後こう返すことができます。「では米国のベネズエラ攻撃はどうなのか。日本は何も言わなかったではないか」と。
批判の正当性は、一貫性によって担保されます。都合の良いときだけ原則を持ち出し、都合の悪いときは沈黙する——そのような姿勢は、遅かれ早かれ信頼を失います。
「同盟」と「原則」の狭間で
日本政府の苦悩は理解できなくもありません。
米国は日本にとって唯一の同盟国です。日米安保条約は日本の安全保障の根幹であり、中国の脅威が増す中、米国との関係を損なうことは避けたいところでしょう。特にトランプ政権は「取引的」な外交姿勢で知られ、批判すれば何らかの報復があるかもしれません。
加えて、高市首相の台湾発言で日中関係は冷え込んでいます。ここで米国との関係もぎくしゃくすれば、日本は孤立しかねない——そういう計算が働いているのでしょう。
しかし、だからといって原則を放棄してよいわけではありません。
他国はどう対応したか
比較のために、他国の反応を見てみましょう。
原則を明言した国々
| 国 | 立場 |
|---|---|
| ドイツ | メルツ首相「国家間の関係には国際法の原則が適用されなければならない」 |
| スペイン | サンチェス首相「マドゥロ政権は認めないが、国際法違反の米国介入も認めない」 |
| EU | フォンデアライエン委員長「国際法と国連憲章を尊重しなければならない」 |
これらの国々は、米国の同盟国でありながら、「マドゥロ政権を支持しない」ことと「国際法違反を批判する」ことは両立できることを示しました。
日本にできなかったことが、なぜ彼らにはできたのでしょうか。
「法の支配」は誰のためか
「法の支配」という言葉を、日本政府は呪文のように唱えてきました。
自由で開かれたインド太平洋、クアッド、G7——あらゆる場で「法の支配」「ルールに基づく国際秩序」を強調してきました。それは中国やロシアを牽制するための言葉だったのかもしれません。
しかし、原則とは、味方にも敵にも等しく適用されて初めて原則たりえます。
米国の行動を批判できないなら、「法の支配」は単なる外交カードに過ぎなくなります。中国を批判するときだけ持ち出し、米国が同じことをしたら引っ込める——そんな「原則」に、誰が説得力を感じるでしょうか。
私たちに問われていること
政府が沈黙するなら、声を上げるのは市民の役割です。
今回の件について、日本のメディアの報道は総じて淡白でした。事実関係の報道はあっても、「日本政府の対応は妥当か」「国際法違反ではないか」という批判的分析はほとんど見られません。
米国内では、70%の市民がベネズエラへの軍事介入に反対していました。ホワイトハウス前では「石油のために血を流すな」という抗議デモが行われました。議会では、戦争権限決議を発動して大統領の行動を制限しようという動きもあります。
翻って日本ではどうでしょうか。
政府の対応を批判する声は、どれだけ上がっているでしょうか。
結びに代えて
今回のベネズエラ攻撃は、「法の支配」という言葉の重みを試す試金石です。
日本政府がこのまま沈黙を続けるなら、それは「法の支配」が結局のところ強者の論理を正当化する道具に過ぎないことを自ら証明することになります。
ロシアのウクライナ侵攻から4年。あのとき日本が掲げた「原則」は、どこへ行ったのでしょうか。
答えは、今この瞬間の私たちの行動にかかっています。


