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冬の街から「あの楽しみ」が消えた日〜瀬戸内の海で起きた「夏バテ」と私たちの食卓〜


この冬、街の定食屋から、ある定番メニューがひっそりと姿を消しつつある。「カキフライ定食」。サクサクの衣と濃厚な海のミルクを求めて店を訪れた客に対し、店主が申し訳なさそうに頭を下げる光景が、あちこちで見られるようになった。

「今年は入荷がない」「あっても値段が高すぎて、定食の価格じゃ出せない」

影響は居酒屋にも及んでいる。季節のおすすめメニューには、具体的な価格の代わりに「時価」の文字が目立つ。飲食店にとって、冬の稼ぎ頭であるカキの不在は、経営を直撃する死活問題だ。

それならば家庭で楽しもうとスーパーの鮮魚コーナーへ向かっても、状況は変わらない。例年なら特売で山積みになっているはずのパックが見当たらない。あっても粒は小ぶりで、価格は例年の1.5倍近くに跳ね上がっている。

これは単なる「今年の不運」ではない。日本のカキ生産の約6割を支える広島、そして岡山や兵庫など瀬戸内海全域で、カキが「大量死」しているのだ。場所によっては、育てていたカキの9割が死んでしまった海域もあるという。

「地球温暖化」という言葉が、ニュースの中だけの話ではなく、私たちの食卓から「楽しみ」を奪い始めた瞬間である。

海の中で、カキたちが「過労死」している

なぜ、これほどの事態に陥ったのか。専門家の分析によれば、カキたちは秋になっても続く異常な高水温に追い詰められてしまったのだという。

今年の夏、日本列島は記録的な猛暑に見舞われたが、それは海の中も同じだった。カキは本来、水温が上がると産卵し、水温が下がると栄養を蓄えて太っていく。しかし今年は、秋になっても海水がお風呂のように温かいままだった。

「まだ夏だ! 卵を生まなきゃ!」カキたちは水温の低下を感じ取れず、体力の限界まで産卵を続けてしまった。人間で言えば、猛暑の中で休みなくフルマラソンを走り続け、そのまま倒れてしまったようなものだ。いわば、極度の「夏バテ」による過労死である。

さらに雨が少なかったことで海水が煮詰まり(塩分濃度が上がり)、弱ったカキを追い詰めた。そこへトドメを刺したのが酸欠だ。9月以降に吹き続けた北風が、通常は沖の深い場所にある酸素の乏しい海水をカキいかだのある岸側へと押し寄せさせてしまった。逃げ場のない海の中で、彼らは静かに力尽きていったのだ。

「旬の味」が「高級品」に変わる未来

今年だけの問題であれば、「残念だった」で済むかもしれない。しかし、瀬戸内海の海水温はこの30年で約1℃上昇しており、この傾向は気候変動が続く限り止まらない。専門家は、今回のような高水温による被害が今後も繰り返される可能性を指摘している。

これまでランチや夕食の買い物で、数百円で楽しめていた「季節の味」が、いつの間にか「特別な日の高級品」に変わってしまう。あるいは、教科書で習った「名産地」の地図が、ガラリと書き換えられてしまう。サンマが高嶺の花になり、北海道でブリが豊漁になり、そして瀬戸内のカキが消える。気候変動は、遠い未来の話ではなく、今日のランチや今夜のおかずを脅かす現実的な危機となっている。

それでも、冬の味覚を守るために

厳しい現実の一方で、希望もある。広島や岡山の生産者たちは、手をこまねいているわけではない。暑さに負けない強い品種のカキを開発したり、海面より深い涼しい場所にカキを避難させる技術を導入したりと、「日本の食卓からカキを消さない」という執念で、自然の猛威に立ち向かっている。

今年の冬、もし飲食店やスーパーでカキを見かけることがあれば、それは過酷な環境を生き抜いた「奇跡の粒」かもしれない。例年より少し小ぶりでも、少し値段が高くても、それを手に取ることは、日本の食文化を守ろうとする生産者への「投票」にもなる。

「よく生き残ってくれた」そう噛み締めながら味わう今年のカキは、きっといつもより深く、考えさせられる味がするはずだ。

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