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【流行語大賞2025】なぜ「働いて働いて」が大賞に?──国民感情と乖離する選考基準を診断する

12月1日、2025年の流行語大賞が発表された。年間大賞は高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相」。選考委員の神田伯山氏は「政治の動向そのものが『エンタメ』のような群像劇を感じられた」と評したが、SNSでは「そんなに流行ったの?」「ブラック企業のスローガンみたい」といった戸惑いや批判の声が相次いだ。もちろん肯定的な意見も一定数あるが、「流行語」という看板と実態の乖離を指摘する声は少なくない。この決定的なズレは何を意味するのか。マーケティングの視点から、この賞の「症状」を分析してみよう。

【症状】プロダクト・マーケット・フィット不全症候群

流行語大賞が抱える問題は深刻だ。顧客(国民)が求めているのは「エンターテインメントとしての流行の共有」である。一方、提供者(選考委員会)が届けているのは「政治・社会ニュースの硬派な記録」だ。

この需要と供給のミスマッチは、今年特に顕著だった。ノミネート30語を見れば一目瞭然である。「リカバリーウェア」「薬膳」「ぬい活」「ラブブ」──人々が本当に求めていたのは、疲弊した心身を回復させる「癒やし」であり、厳しい現実から個人の聖域を守る「防御」だった。

ところが大賞に選ばれたのは、その真逆を行く精神論。「ワークライフバランスという言葉を捨てる」と宣言し、午前3時に公邸で勉強会を開く首相の言葉である。

【原因】「共感」から「強制」への基準変質

この症状の根本原因は、選考基準の変質にある。

一般層が定義する「流行」:みんなが自発的に使った言葉
選考委員会が定義する「流行」:みんなが聞かされた言葉

つまり、選考委員会は「話題を独占した(=嫌でも耳に入った)」という情報の強制力を評価している。「言葉が良いかどうか」ではなく「騒ぎが大きかったかどうか」で選ぶため、ネガティブな政治案件が圧倒的に有利になる構造だ。

さらに深刻なのは、「時代」の定義のズレである。

委員会にとっての「時代」とは「教科書的な歴史年表」だ。女性首相誕生、総裁選といった政治史の節目を記録することが「時代を捉える」行為だと信じている。賞を「歴史のアーカイブ」として位置づけているのだ。

一方、国民にとっての「時代」とは「日々の生活実感」である。インフレ、気候変動、過労──生存に関わるリアリティこそが今の時代だ。その中で求められているのは、抽象的な精神論ではなく、科学的な回復法(リカバリーウェア)や心の拠り所(推し活)といった具体的な救いではないだろうか。

【併発する問題】言葉への敬意の欠如

さらに懸念すべき問題が進行している。選考委員の多くは「言葉」を生業とするプロフェッショナルだ。漫画家、講談師、コラムニスト──彼らこそ、言葉の持つ「意味(ニュアンス)」の重要性を誰よりも理解しているはずである。

ところが現状はどうか。言葉の持つ微妙な響き、込められた感情、時代精神との共鳴──そうした本質的な価値を軽視し、「騒音の大きさ(ボリューム)」だけで順位付けを行っている。文化的な賞としての価値を、自ら損なっているのだ。

1989年の流行語大賞銅賞に「24時間タタカエマスカ」が選ばれたのは、バブル期の狂騒を象徴する言葉として機能したからだ。しかし2025年、令和の時代に「働いて働いて」を大賞に選ぶのは、まったく文脈が異なる。当時はエネルギー飲料のCMという「文化的コンテクスト」があり、人々はそれを冗談として消費できた。

だが今回は違う。過労死が社会問題化し、働き方改革が叫ばれる時代に、政治権力者が本気で「ワークライフバランスを捨てる」と宣言している。これは冗談では済まされない、政治的メッセージなのだ。

【展望】不要論の拡大は避けられない

この状況が続けば、賞の存在意義そのものが問われることになるだろう。

すでに「SNS流行語大賞2025」では、X(旧Twitter)の投稿数を基に集計した結果、1位「ミャクミャク」、2位「備蓄米」、3位「エッホエッホ」となっている。こちらの方が、実際に人々が語り合った言葉を正確に反映している。

流行語大賞は今や、「その年の最も騒がしかったニュースの見出し」を確認する作業になってしまった。「流行」を祝う祭りではなく、「記録」を確認する儀式へと変質したのだ。

【処方箋】大賞を無視し、ノミネート語から各自が選ぶ

ではどうすればいいのか。答えは簡単だ。「大賞」という権威付けに振り回されなければいい。

ノミネート30語のリストには、人々が本当に求めた「時代の答え」が存在している。疲労と癒やし(リカバリーウェア、薬膳)、個人の聖域を守る動き(ぬい活、フリーランス保護法)、そして何より、人々を笑顔にした「ミャクミャク」や「エッホエッホ」。

これらこそが、本来評価されるべきトレンドではないだろうか。選考委員会の選択ではなく、自分自身の感性で「今年の言葉」を選べばいいのだ。

流行語大賞が「流行」を見失った今、私たちは自分たちで言葉を選び取る自由を取り戻すべきだ。選考委員会が「歴史の記録係」を演じたいなら、それはそれで構わない。私たちは私たちで、本当に心に響いた言葉を大切にすればいいのだから。


── 診断結果:この賞は「流行語」の看板を掲げ続けるべきか、それとも「年間ニュース大賞」へと正直に看板を架け替えるべきか。いずれにせよ、現状のままでは国民との距離は開く一方である。


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