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高市首相が冒頭解散に踏み切れる理由——問われるべきはメディアの沈黙

公然と語られる「党利党略」

2026年1月9日、読売新聞が一本のスクープを放ちました。高市早苗首相が、1月23日召集予定の通常国会冒頭での衆院解散を検討しているというものです。投開票日は「2月8日」または「2月15日」が軸とされています。

この報道自体は政治ニュースとして重要です。しかし、異様なのはその「理由」が公然と語られていることではないでしょうか。

「高い支持率が続くうちに解散に踏み切るべきだ」

「予算審議で野党の追及を受ければ支持率低下は避けられない」

「参院のねじれ国会を解消し、政策実現の推進力を得る」

要するに、「追及される前に逃げ切りたい」という党利党略が、隠されることなく報じられているのです。

しかも高市首相は、わずか5日前の1月5日、年頭記者会見でこう述べていました。

国民に高市内閣の物価高対策、経済対策の効果を実感いただくことが大切。目の前の課題に懸命に取り組んでいるところだ。

—— 高市早苗首相、2026年1月5日年頭記者会見

「目の前の課題に懸命に取り組む」と言いながら、その課題を放り出して選挙に打って出る——この矛盾を、政権はどう説明するのでしょうか。


なぜ政権は「バレても構わない」のか

普通に考えれば、これほど露骨な党利党略は批判を招き、支持率を下げるはずです。しかし政権が解散を検討できるのは、「バレても許される」という学習効果があるからです。

振り返れば、近年の解散はいずれも「大義なき解散」と批判されてきました。

2014年・2017年 安倍解散
野党の準備が整わないタイミングを狙い撃ち。「党利党略」と批判されるも大勝。
2021年 岸田解散
就任から10日で解散。自民単独過半数を確保。
2024年 石破解散
就任から8日(戦後最短)で解散。政治資金問題の逆風で大敗。
2026年 高市解散(検討中)
就任から約3ヶ月での冒頭解散を検討。「支持率が高いうちに」が動機。

つまり、解散の動機がどれほど党利党略であっても、勝てば「国民の信任を得た」という既成事実で上書きされてしまいます。これが日本政治の現実です。

有権者の多くは、政治家が党利党略で動くことをある程度「織り込み済み」にしています。「解散のタイミングが不適切」と世論調査で答えても、投票行動は別の要素——政策、候補者、政党イメージ——で決まります。政権はそれを知っているのです。

自民党関係者からは「解散に対する世論の評判は思ったより悪い」との声も出ているといいます。しかしそれでも検討が進むのは、「評判が悪くても、勝てば問題ない」という計算が働いているからでしょう。

解散 就任→解散 結果 特徴
2014年 安倍 約2年 大勝 消費税先送りを名目に
2017年 安倍 約2年 大勝 「国難突破解散」
2021年 岸田 10日 勝利 単独過半数確保
2024年 石破 8日(最短) 大敗 政治資金問題が直撃
2026年 高市(検討中) 約3ヶ月 「支持率が高いうちに」

メディアは何を報じ、何を報じていないか

ここで問いたいのは、メディアの役割です。

読売新聞のスクープ自体は評価できます。政権の動きをいち早く伝えることは、報道機関の重要な仕事です。しかし、その後の報道はどうでしょうか。

各社の報道を見ると、焦点は「解散はいつか」「日程はどうなるか」「与野党の反応は」といった政局報道に集中しています。いわば、競馬の予想のような報道です。

しかし、有権者が判断するために必要な情報は、それだけではありません。本来問われるべきは——

  • なぜ物価高対策より選挙を優先するのか
  • 1月5日の発言との整合性をどう説明するのか
  • 予算の年度内成立を反故にすることの影響は何か
  • 有権者はこの「党利党略」をどう評価すべきか

こうした本質的な問いを正面から掘り下げる報道は、驚くほど少ないのが現状です。


構造的な「顔色うかがい」

なぜメディアは踏み込まないのでしょうか。いくつかの構造的要因があります。

第一に、記者クラブ制度と情報源の問題です。政治部記者にとって、官邸や与党幹部との関係維持は取材の生命線です。厳しく追及すれば情報源を失い、特ダネが取れなくなります。結果として、批判より「観測報道」に流れやすくなるのです。

第二に、広告収入への配慮があります。テレビ局や大手新聞は、政府広報や大企業の広告に依存しています。政権批判が激しくなれば、スポンサーへの影響を懸念する経営判断が働くことになります。

第三に、「両論併記」という逃げです。「政権の主張」と「野党の批判」を並べて終わり、というスタイルは一見中立に見えます。しかしそれは検証の放棄でもあります。「疑惑がある」と報じても、「事実かどうか」を掘り下げなければ、有権者の判断材料にはなりません。

こうした構造のなかで、メディアは権力の「顔色をうかがう」存在になっていないでしょうか。政権が「これでも許される」と学習し続けるのは、メディアがその矛盾を厳しく追及しないからではないでしょうか。


「馬鹿にされている」のは誰か

今回の解散検討をめぐる報道を見ていると、ある種の不快感を覚える方も多いのではないでしょうか。

「支持率が高いうちに」「追及される前に」——こうした計算が公然と語られ、それでも政権が解散に踏み切ろうとしているのは、有権者を軽く見ているからです。「どうせ動機がバレても、勝てば問題ない」と。

しかし、政権が有権者を軽視できるのは、メディアがその橋渡しをしていないからでもあります。

民主主義において、メディアは「第四の権力」として権力を監視する役割を担っています。疑惑を掘り下げ、矛盾を指摘し、有権者が判断するための材料を提供する。その役割が弱まれば、有権者は判断材料を得られず、政治家は「バレても許される」と学習し続けることになります。

「馬鹿にされている」のは有権者ですが、その状況を放置しているのはメディアでもあるのです。


試されているのは有権者、そしてメディア

今回の解散が実施されるかどうかは、まだ確定していません。高市首相は外交日程を終えた後、世論の動向を見極めて最終判断するとされています。

しかし、仮に解散が行われ、与党が勝利すれば、「党利党略でも勝てば官軍」というパターンはまた一つ積み重なることになります。政治家は学習し、次も同じことを繰り返すでしょう。

民主主義の質は、「権力の暴走」だけで劣化するのではありません。「監視の不在」によっても劣化するのです。

📌 試されているのは、有権者とメディア

メディアが「いつ解散か」という政局報道に終始し、「なぜこれが許されるのか」という本質的な問いを避け続けるなら、有権者は判断材料を持たないまま投票所に向かうことになります。

試されているのは、高市首相だけではありません。有権者と、そしてメディアです。

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