高市政権の国会軽視──これは誰のための政治か
国会は、国民の代わりに政策を議論し、法律と予算を審議する場です。それは教科書に書かれた建前ではなく、民主主義の根幹であるはずです。ところが、2026年の通常国会を眺めていると、ある疑問がこみ上げてきます。
この国会は、いったい誰のために開かれているのでしょうか。
「圧勝」という名の錯覚
2026年2月8日の衆院選で、自民党は単独316議席を獲得しました。衆議院の3分の2を超えるこの数字は、確かに歴史的な規模です。テレビも新聞も「圧勝」「歴史的大勝」という見出しを競うように並べました。
しかし、別の数字では違う姿が見えてきます。
今回の衆院選の投票率は56.26%で、戦後5番目の低さでした。有権者の約44%──4,500万人以上──が投票しませんでした。そして、比例代表(政党への純粋な支持を示す最もシンプルな指標)における自民党の得票率は36.7%です。有権者全体を母数にすると、自民党を支持したのはわずか約20.4%にすぎません。
小選挙区では「勝者総取り」の制度効果により、49%の得票が85.8%の議席に変換されました。一橋大学の竹内幹教授の分析によれば、今回の得票率と議席占有率の乖離は、過去7回の平均の約2倍に達するといいます。
「3分の2の議席」と「国民の3分の2の支持」は、まったく別の話です。しかし、この区別を主要メディアがきちんと報じているかどうか、疑問が残ります。
58時間という数字が示すもの
自民党は2026年度予算案(総額122兆3,092億円、2年連続で過去最高)を3月13日に衆院通過させる日程案を提示しました。その審議時間は計58時間。例年、衆参それぞれ17日前後かけて行われてきた予算審議と比較すると、大幅な短縮です。
なぜここまで急ぐのでしょうか。
その答えは、皮肉にも与党自身の行動にあります。高市首相が1月23日の通常国会召集日に衆院を解散したことで、通常なら1月下旬から始まる予算審議への入りが約1カ月遅れました。「年度内成立を目指したい」と高市首相は衆院本会議で発言しましたが、その時間的制約を作ったのは首相自身です。野党が指摘する通り、「審議時間を短縮せざるを得ない状況を招いたのは、首相の解散判断」なのです。
自ら時計の針を遅らせておいて、「時間がないから急ごう」と言っているのに等しい。この構造的な矛盾を見過ごしてはなりません。
国会軽視が透けて見える「委員長職権」
今国会で特に目立っているのが、坂本哲志予算委員長による「委員長職権」の多用です。
基本的質疑がわずか3日間で終わったその直後、野党全党が反対するなかで中央公聴会の開催を自民・日本維新の会のみの賛成多数で採決強行しました。地方公聴会は日曜日(3月8日、岩手県・鹿児島県)という異例の日程が職権で決定されました。衆院事務局によると、日曜日の地方公聴会開催は憲政史上初めてのことです。野党が求めていた分科会の開催は一切拒否されました。
5野党の国会対策委員長が連名で衆院議長に申し入れを行い、「議会政治において前代未聞」「民主政治を破壊する暴挙」と一致して批判したのも、こうした経緯があってのことです。中道改革連合の早稲田夕季氏が語った「国会軽視は国民軽視だ」という言葉は、本質を突いています。
委員長職権そのものは制度として存在します。しかし「多数派が数を盾に何でも決められる」という運用が常態化すれば、少数意見を保護し熟議を促すという議会制民主主義の機能は形骸化します。参院自民の関係者からさえ「衆院や官邸は逆なでばかり」「荷崩れ状態で予算案を放り込まれても年度内成立は困難」という懸念が漏れてくるのは、決して見過ごせない兆候です。
「首相が答えない」国会
もう一点、見逃せない事実があります。
しんぶん赤旗の集計によれば、衆院予算委の基本的質疑初日(2月27日)における高市首相の答弁回数は69回でした。前年の同じ初日(115回)から約4割減です。2日目は46回(前年125回)、3日目は61回(前年76回)と、すべての日程で前年を大幅に下回っています。
野党議員が「総理に聞いております」と指摘しても、坂本委員長が他の閣僚を指名して首相を守る壁として機能させる場面が繰り返されたといいます。東京新聞は「与党が高市首相を国会審議に出したくない」という構図を指摘しています。
予算委員会で首相が答弁しない──それは、国権の最高機関である国会が、行政府の長に説明責任を果たさせるという本来の役割を十分に果たせていないことを意味します。
消えたブログが語るもの
高市首相は2010年3月、当時野党だった立場で自身のブログに、こんな内容を書いていました。「衆議院では、与野党の圧倒的な議席数の差から、国会運営も強硬な民主党のペースで進んでしまい、多くの課題を残した」──。これは当時の民主党政権の国会運営を批判した文章です。
そのブログは、現在閲覧できなくなっています。
高市氏は25年以上にわたって公式サイトで政策や政治信条を発信し続けてきました。昨年11月の国会答弁では「あえて自分の政治家としての歩みも含め、全て掲載を続けている」と説明していました。ところが今年2月、全てのコラムが突然削除されたのです。
2010年に野党として批判した言葉が、今の自民党の国会運営にそのまま当てはまる。この皮肉な事実は、数の力が政治家の言葉さえ塗り替えていくことを示しているように思えます。
緩みが生む「前例のない」出来事
3月5日から6日の2日間に、3件の遅刻問題が集中して発生したことも、今国会の空気を象徴しています。
片山財務大臣は予算委の省庁別審査(3月4〜6日)に連日欠席しました。委員長職権で「副大臣出席で足りる」と一方的に決定されたためです。小野田経済安保担当大臣は閣議に約5分遅刻しました。そして斎藤洋明衆院文科委員長が理事会に遅刻したことで、委員会そのものが流会となりました。
閣議への大臣遅刻は「極めて珍しい」とされ、委員長遅刻による委員会の流会は国会史上「きわめて稀」な事例です。財務大臣不在のもとで予算審議が行われたことについて、野党の小川淳也氏は「前代未聞」と明言しました。
自民党内からも「一昔前なら野党の追及で更迭案件だった」という声が匿名で漏れているのは、問題の深刻さを物語っています。高市首相が3月9日の予算委員会で「与党として気を引き締め対応する」と釈明せざるを得なかったのは、それだけ事態が看過できないレベルに達していたからでしょう。
支持率が問いかけるもの
3月第2週の世論調査では、内閣支持率は60.6%(前週比−2.7ポイント)、自民党支持率は29.4%と2カ月ぶりに30%を割り込みました。衆院選からわずか1カ月で支持率が下落基調に入っているという事実は、選挙での「圧勝」が政策・国会運営への白紙委任ではないことを端的に示しています。
フジテレビの橋下徹氏も「自民党もこれであぐらをかいていたら、えらいことになりますよ」と警告しています。「選挙での支持」と「政権運営への支持」は別物だという冷静な認識は、与党支持者の間にも広がりつつあります。
国会は、国民のために開かれているか
国会は、行政府が「やりたいことを速やかに通す場」ではありません。国民の多様な声を代表する議員たちが、じっくりと議論を重ね、より良い政策を作り上げる場です。そのプロセス自体に、民主主義の本質があります。
審議時間の短縮、委員長職権の多用、首相答弁の回避、閣僚の欠席と遅刻──これらの問題に共通しているのは、「多数決さえ通れば結果は同じ」という発想です。しかしそれは、国会を「行政の下請け機関」に変えていく道です。
有権者全体の約20%の支持を基盤とした政権が、「圧倒的な民意を得た」と自称しながら熟議を省略していく。私たちはその数字の意味を、もっと丁寧に受け止める必要があります。
本来の国会の姿を取り戻すこと。それは与野党の対立の話ではなく、民主主義そのものを守ることです。そして、それを監視するのが私たち有権者の役割だと思います。

