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SNSから子どもを守る国、守れない国

アメリカの法廷で起きた、ある出来事

2026年3月、カリフォルニア州の法廷で注目すべき判決が下されました。ある少女の母親が、Meta社(Instagram)とGoogle社(YouTube)を相手取り、「幼少期からSNSを使い続けたことで依存状態に陥り、精神的な被害が深刻化した」と訴えた裁判です。

陪審が認めたのは、投稿された内容の問題ではありません。無限スクロール、自動再生、深夜の通知——SNSの「設計そのもの」が、子どもの心を蝕む欠陥製品だったという主張でした。

この話を聞いて、違和感を覚える方も少なくないと思います。「SNSを使って依存になった、だから企業を訴える」——そんな主張が本当に通るのか、と。

でも、少し視点を変えてみると、この違和感の正体こそが、私たち日本の親が置かれている状況を映し出しているのかもしれません。

なぜアメリカでは「裁判」になるのか

アメリカでこうした訴訟が起きる背景には、意外な事情があります。それは、国としての包括的な規制がないからです。

連邦レベルで存在するのは、1998年に制定されたCOPPA(児童オンラインプライバシー保護法)くらいですが、これは13歳未満の個人データ収集を規制するだけで、SNSの設計そのものには踏み込んでいません。新しい法案(KOSAなど)は「表現の自由に反する」という議論に巻き込まれ、成立の見通しが立たないまま。

州ごとの対応もバラバラです。フロリダ州は14歳未満のアカウント取得を禁止。ニューヨーク州は18歳未満への深夜の通知を禁止。でも統一されたルールはありません。

つまり、カリフォルニアの母親が法廷に立ったのは、守ってくれる制度がなかったから。「訴訟で闘う」しか、子どもを守る手段がなかったのです。

オーストラリアの親は、闘わなくていい

同じ時期、地球の反対側では全く異なるアプローチが取られていました。

オーストラリアは2025年12月、世界で初めて16歳未満のSNS利用を法律で全面的に禁止しました。対象はInstagram、Facebook、TikTok、X(旧Twitter)、Snapchatなど。違反した企業には最大約50億円の罰金が科されます。

注目すべきは、責任の所在が完全に企業側にあるという点です。親がフィルタリングを設定する必要はなく、子どもが罰せられることもありません。「子どもを依存させる設計をしている以上、それを止めるのは企業の責任だ」——この考え方を、法律で明確にしたのです。

この流れはオーストラリアだけではありません。

  • EUはデジタルサービス法(DSA)で、プラットフォームにアルゴリズムの透明性やリスク評価を義務づけました
  • フランスは15歳未満のSNS利用禁止を立法化
  • 英国はOnline Safety Actで事業者に「安全義務」を課し、違反には売上高最大10%の罰金
  • インドネシアも2026年3月に16歳未満の禁止を発表

世界の流れは明確です。「保護者が気をつける」から「企業が責任を負う」へ

日本の親は、一人で闘っている

では、日本の親はどうでしょうか。

日本にも法律はあります。2008年に制定された青少年インターネット環境整備法です。ただし、その中身はフィルタリングの普及促進と啓発が柱で、企業への罰則はありません。すべてが「努力義務」です。

2025年4月に施行された情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)も、誹謗中傷への対応が主眼であり、未成年のSNS依存を防ぐための仕組みではありません。

結果として、日本の親が子どもをSNSの害から守ろうとするとき、頼れるものはとても少ないのが現実です。

  • 総務省のパンフレットには「フィルタリングを設定しましょう」と書いてある
  • でも子どもはVPNで回避する方法を知っている
  • 友達のアカウントで閲覧すれば、親の設定は無意味になる
  • 利用時間を制限しても、アルゴリズムは限られた時間で最大限の依存を引き出すように最適化されている
  • それでも何か問題が起きれば、「親の監督不行き届き」と言われてしまう

企業が何千億円もかけて最適化した依存の仕組みに、家庭の努力だけで対抗しろ——。これが、今の日本の「子ども保護」の実態です。

18年間、なぜ日本は動けなかったのか

2026年2月、こども家庭庁がようやくワーキンググループを立ち上げました。自民党も3月末に「情報社会においてこども・若者を守るPT」の初会合を開いています。

しかし、検討項目を見ると「諸外国で広がる法的規制を、日本でも導入すべきかどうか」という段階です。率直に言えば、**「検討するかどうかを、検討し始めた」**というのが現在地です。

2008年の法制定から18年。なぜこれほど時間がかかっているのでしょうか。

いくつかの要因が考えられます。

① 「賢く使わせる」という教育信仰

日本では長年、「禁止するより、正しい使い方を教えるべきだ」という考え方が主流でした。京都大の曽我部真裕教授が指摘するように、「子ども時代に無菌室に入れて、大人になって免疫なく使い始めるほうが危険」という発想です。

理念としてはもっともです。でも、企業がアルゴリズムで依存を設計しているという構造的な問題に対して、個人のリテラシーで対抗させるのは、あまりにも力関係が非対称ではないでしょうか。

② 「規制=言論統制」という短絡

SNS規制の話が出ると、「表現の自由が脅かされる」という反発が必ず起きます。しかし、ここで議論されているのは、言論の中身を検閲することではありません。製品の設計に安全基準を設けることです。

食品に成分表示を義務づけても、それは「食べる自由」の侵害ではありません。自動車にシートベルトを義務づけても、「移動の自由」は損なわれません。SNSの設計に安全基準を求めることも、本質的には同じはずです。

③ 被害の「見えにくさ」

米国では大規模訴訟を通じて、Meta社の内部文書(「10代への害を認識していた」証拠)が白日の下にさらされました。こうした証拠開示の仕組みが日本にはなく、被害の因果関係を示すデータの蓄積が薄いことも、議論が進まない一因です。

④ 「まだ大丈夫」という感覚

国立青少年教育振興機構の調査によれば、日本の高校生のSNS依存度は米国・韓国・中国と比べて最も低いという結果が出ています。この数字が「日本はまだ深刻ではない」という楽観につながっている可能性があります。

しかし、日本の子どものスマートフォン所有率は年々上昇し、低年齢化も進んでいます。「まだ大丈夫」が「もう手遅れ」に変わる前に、制度を整えることの方がはるかに重要ではないでしょうか。

おわりに:はっきりしている問題から、ひとつずつ

ネット社会の問題は複雑で、すべてを一度に解決することはできません。でも、はっきりしている問題点から、ひとつずつ塞いでいくことはできるはずです。

たとえば、こんなことから始められます。

  • 未成年に対する依存促進設計(無限スクロール、深夜の通知、自動再生)の禁止
  • 年齢確認の義務化と、違反した場合の企業への罰則
  • アルゴリズムの透明性——なぜその動画が子どもに推薦されたのかを開示させる仕組み

これらは「SNSを禁止しろ」という極端な話ではありません。製品としての最低限の安全基準を求めているだけです。

カリフォルニアの母親は、制度がなかったから法廷で闘いました。オーストラリアの親は、国が先に動いたから闘わずに済んでいます。

日本の親は今、どちらの側にいるでしょうか。

18年間の「検討」を経て、ようやく動き始めた議論が、また「検討」で終わらないことを願っています。


参考情報
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