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停戦の非対称性 ― 反撃側にだけ履行を迫る米・イスラエルの構図

そもそも誰が始めた戦争なのか

4月7日深夜、トランプ大統領がSNSで米・イラン2週間停戦の合意を発表しました。パキスタンのシャリフ首相が一晩中の仲介を続けた末にまとまった話です。停戦の主な条件はイランによるホルムズ海峡の「完全・即時・安全な」再開放。和平交渉そのものは4月10日からイスラマバードで開始される予定です。

2026年2月28日、米国とイスラエルはイランへの共同攻撃「Operation Epic Fury」を開始し、核施設・軍事施設・指導部を標的にしました。この攻撃でイランの最高指導者ハメネイ師が殺害されています。国家元首の暗殺を含む先制攻撃であり、国連憲章第2条4項が禁じる武力行使に該当するのではないかという議論が、国際法学者の間で広く交わされています。加えて、4月8日のベイルート中心部への大規模空爆では一日で182人が死亡しています。民間人保護のルールを十分に尊重した作戦だったとは言いにくい状況です。

「この戦争は始まり方そのものに、国際法上の重大な疑義があった」停戦を語るには、これを大前提として考えなければならないと思うのです。

もちろん、イラン側の行動をすべて正当化できるわけではありません。ホルムズ海峡の通航停止は国際海洋法上の問題を含みますし、湾岸アラブ諸国への攻撃にも疑義があります。ただ、少なくとも「誰が戦端を開き、誰が反撃の側に回ったか」という順序を押さえずに停戦を論じることはできません。米・イスラエルの武力行使には国際法上の重大な疑義があり、民間人保護のルールを軽視しているように見える十分な理由もある――この前提を置いた上でなければ、今回の停戦の不均衡は理解できないと思います。

この順序を押さえた上で「停戦」を見ると、構図がかなりはっきりします。武力行使に踏み切った側が有利な条件だけを確定させようとし、反撃側に履行を迫る。しかもその履行の要求は、開戦の責任問題や民間人被害への責任を一切含まない。これは対等な当事者同士の停戦というより、力関係で優位に立つ側が不利な側に条件を突きつけている構図に近いのです。

イランは戦争を終わらせようとしている

まず、イランは独自に10項目の枠組み案を提示しました。内容は、米軍の地域全基地からの撤退、一次・二次制裁の全面解除、完全賠償、凍結資産の解放、ホルムズ海峡の通航はイラン軍との調整を経ること――従来の米国が拒否してきた条件が多く含まれています。これはイランの強硬な要求にみえます。しかし、イランがこれを交渉のテーブルに乗せたこと。これは、戦争継続ではなく、枠組みの提示による出口模索を選んでいるということだと思います。

これまでのイラン側の行動は一貫して「戦争を終わらせたい」という方向を向いているように見えます。

停戦発効当日の4月8日、イランは実際にホルムズ海峡で2隻のタンカー通航を許可しました。履行の第一歩を踏み出したわけです。ところが同じ日に、イスラエルがレバノンのベイルート、南部、ベカー高原の100以上の拠点を10分間で攻撃し、182人を殺害しました。イランは、この攻撃を合意違反と見なしてタンカー通航を停止しました。つまりイラン側は、履行を始めたが、相手側の攻撃継続を受けて履行を止めたのです。

アラグチ外相の「米国は停戦かイスラエル経由の戦争継続かを選ばねばならない。両方は成り立たない」――これは居直りではなく、合意が合意として機能するための最低限の条件を要求したものです。イスラエルが攻撃を続けている状態で、イランだけに履行を求めるのは、そもそも停戦の名に値しません。

国際社会への影響についても、イランは無自覚ではありません。ホルムズ海峡は世界の原油の約2割が通過する要衝で、閉鎖すれば世界経済への打撃はイラン自身にも跳ね返ってきます。実際、開戦直後にブレント原油は1バレル126ドルまで急騰し、1970年代の石油危機以来最大の供給混乱と評価されました。イランがこの影響を承知の上で停戦に応じ、タンカー通航を部分的に再開したという事実は、国際社会への配慮を計算に入れて行動していることの表れだと読むのが自然です。

イスラエルの「別枠」戦略 ― 保身と利益の最大化

一方、イスラエルのネタニヤフ首相の行動は、まったく別の方向を向いています。

停戦発表の2日前、ネタニヤフ首相はトランプ大統領との電話会談で「現時点では停戦に踏み切らないよう」求めていたと、米メディアAxiosがイスラエル当局者の話として報じています。停戦発表後も、ネタニヤフ首相は形式上「支持する」と表明しつつ、「この停戦はレバノンには適用されない」と明言しました。イスラエル軍参謀総長に至っては「作戦は縮小局面ではなく、決定的局面に入った」と述べており、停戦を縮小ではなく拡大の好機と捉えていることが透けて見えます。

これは、2025年6月の十二日戦争停戦時と同じです。あのときもイスラエル国防相のカッツ氏は「イランが弾道ミサイル・核開発を再開すれば停戦は維持されない」という「執行計画」を公表。停戦を「一時的な戦闘停止であって、自分たちの作戦の自由は留保する」ものとして扱いました。

そして4月8日の大規模空爆。ベイルート中心部への空爆は、開戦以来ほとんど行われていなかったものです。それを停戦発効当日に、しかも10分間に100以上の拠点という規模で実行した。これは「停戦だから手を引く」のではなく、「停戦で注目が外れているうちに、対ヒズボラ作戦を一気に進める」という判断だったとしか読めません。

忘れてはならないのは、ネタニヤフ首相自身が国内で汚職疑惑を抱え、連立政権の維持を極右勢力に依存しているという事情です。戦争の継続は、国内の政治的延命と直結しています。対ヒズボラ作戦の拡大は、安全保障上の必要というより、政権維持のための選択という側面が強い。

これはまさに、「保身と利益の最大化」です。

トランプの風見鶏 ― 両方にいい顔をして漁夫の利

米国、特にトランプ大統領の立ち位置は、もっと厄介です。

米国内での支持率低下も影響しているのでしょう。トランプは停戦を発表した張本人で、「戦争を終わらせた大統領」という実績を演出したい。一方でイスラエルとの同盟関係は維持したいし、ネタニヤフ首相の機嫌も損ねたくない。この矛盾を、トランプは両方にいい顔をすることで処理しようとしています。

ヴァンス副大統領の発言は、この姿勢を端的に示しています。「レバノンはそもそも停戦合意の一部ではなかった。ただ、イスラエルが自分たちで少し自制するかもしれない」――これは仲介者の言葉ではなく、同盟国の行動を追認する言い訳です。しかも「3種類の異なる10項目案が存在する」とまで認めてしまっている。合意の基礎文書そのものが複数あるのですから、どの条項が守られているかを判定する共通基盤がそもそもないわけです。

さらに言えば、トランプ大統領は当初イランの10項目案を「実現可能」と評価しておきながら、ペルシャ語版が浮上してウラン濃縮継続を認める内容だと判明すると、詳細も示さずに「詐欺的」と切り捨てました。合意を自分に都合のよい部分だけ認め、不都合な部分は後から否認する――これは交渉ではなく、その場しのぎの立ち回りです。

ヘグセス国防長官が停戦当日に「大文字のV、軍事的勝利」を宣言したことも忘れてはいけません。停戦交渉が始まる前の段階で勝利宣言を出すということは、米国がこの合意を「対等な停戦」ではなく「敗者への条件提示」として理解していることを自ら暴露しています。トランプ政権全体が、戦争を終わらせた英雄を演じながら、戦果は最大限確定させ、同盟国の暴走は黙認するという三股の姿勢で動いているわけです。

ホルムズ海峡「通行料」問題

もう一つ、重要な論点があります。ホルムズ海峡の「通行料」です。

報道によれば、イランはホルムズ海峡を通過するタンカーに対し、原油1バレルあたり約1ドルの通航料を課しています。標準的なVLCCでは1航海あたり約200万ドル、ULCC級では300万ドル規模に達します。

もし停戦がこの通行料体系を追認するかたちで「再開放」を演出すれば、海峡を自由通航の対象としてきた数十年来の国際法の前例を覆すことになります。

これは湾岸アラブ諸国にとって受け入れがたい話です。同時に、仮にイランがこの制度で財政基盤を回復するなら、米国・イスラエルが開戦の名目にした「イランの軍事的影響力の封じ込め」という目的とも矛盾してしまいます。

つまり、停戦の成功と失敗は、単に戦闘が止まるかどうかで判定できる問題ではありません。どのような条件で止まるかによって、地域秩序そのものの形が変わってきます。そしてこの通行料問題について、米国もイスラエルも、自分たちに都合の悪い論点としてあまり声高には論じていません。

欧州の距離の取り方と、日本の沈黙

欧州各国首脳は共同声明で停戦を歓迎しつつ、「我々の政府はホルムズ海峡での航行の自由の確保に貢献する」と実務面での協力を表明しました。ただ同時に、欧州委員会は重要な民間インフラへの攻撃の脅し自体を「戦争犯罪になり得る」として拒絶する立場を既に示しています。マクロン仏大統領はイランの核・ミサイル問題とホルムズ航行妨害に言及しつつ、カタール・UAE・レバノン・イラクの各首脳とも個別に協議しており、トランプ政権の二元論的な圧力外交とは距離を取っています。

スペインのサンチェス首相は「対イラン戦争にノー」と公言し、米軍による基地使用も禁じました。フランスは空域提供を絞り、英国も攻撃作戦への参加を拒否しました。欧州はそれぞれのやり方で、「同盟は維持するが、トランプ流の作戦には付き合わない」という線を引いているわけです。

これに対して、日本はどうでしょうか。高市政権は、米・イスラエルによるイラン攻撃の法的評価を避け続けています。ホルムズ海峡への自衛隊派遣の法的根拠も曖昧なままです。停戦の解釈乖離についても、イスラエルのレバノン空爆182人殺害についても、通行料制度が国際海洋法に及ぼす影響についても、日本政府から独自の評価は一切出てきません。

欧州が「選択的距離」という形で国際法の言語を使って線を引こうとしているときに、日本だけが何も言わない。これは中立ではなく、米・イスラエルの行動への事実上の追認です。そして国内では「大丈夫です」とナフサの数量だけ示して説明責任を果たしたことにする。強い言葉と薄い根拠の組み合わせが、外では沈黙、内では断言という形で現れているわけです。

おわりに ― 順序と責任を問い直す

この戦争の始まり方には、国際法上の重大な疑義があります。国家元首の暗殺を含む先制攻撃、民間人多数を巻き込む空爆――少なくとも、国際人道法のルールが十分に尊重されたとは言いにくい作戦でした。イランの行動もすべて正当化できるわけではありませんが、少なくとも反撃の側に回ったという順序は無視できません。そしてそのイランが、停戦に応じ、10項目の枠組みを提示し、発効当日にはタンカー通航を実際に許可しています。出口を探している姿勢は、行動として示されているのです。

一方、イスラエルは停戦を望んでおらず、「レバノンは別枠」という解釈を使って攻撃を継続し、発効当日に過去最大規模の空爆を実行しました。米国はこれを黙認し、イランにだけ履行を迫っています。この構図で「停戦違反」のラベルをイランに貼ろうとする米国の論法は、率直に言って倒錯しています。

イラン外相のアラグチ氏が言った通りです。「米国は停戦かイスラエル経由の戦争継続かを選ばねばならない。両方は成り立たない」。これは強硬な要求ではなく、合意が合意であるための最低限の条件です。そしてこの最低限の条件を、米国もイスラエルも満たす気がないように見えます。

4月10日からイスラマバードで和平交渉が始まる予定です。しかし、開戦の責任や民間人被害の問題を棚上げにしたまま、反撃側にだけ履行を迫る交渉が、どんな「和平」を生むのか。少なくとも、それを公平な停戦と呼ぶのは、言葉の使い方としておかしいはずです。

日本政府がこの局面でも沈黙を選ぶなら、それは中立を装った追認であり、国際法の側に立たない選択をしたことになります。ナフサの数量確保を「大丈夫」と断言する前に、そもそもこの戦争をどう評価するのかを、国民にきちんと説明してもらいたいです。

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