「副首都法案」、つくることが目的になっていなかったか
7月24日夜、参院本会議で副首都法が可決・成立した。賛成123票、反対121票。わずか2票差だ。与党は17日までだった国会の会期を8日間延長し、会期末の前日、深夜の採決に持ち込んでまで成立させた。ここまでして急いだこの法律は、そもそも必要だったのか。
「副首都法」、中身の多くは白紙のまま
成立した法律には、決まっていないことが多い。副首都の指定要件の具体的な基準は政令に委ねられた。副首都が担う機能や体制整備の内容は、今後政府が策定する基本方針で定める。整備に必要な費用は、国会審議でも最後まで示されなかった。しかも与党は、基本方針の策定前でも副首都を指定できると答弁している。
形だけが先に決まり、中身はあとからつけていく。この順序に、法律の性格がよく表れている。
新法がなければできなかったことは何か
首都機能のバックアップ自体は、新法がなくても進められた。2013年に首都直下地震対策特別措置法が制定、2014年には政府業務継続計画が策定されている。代替庁舎の確保、指揮命令系統の二重化、行政データのバックアップ、東京圏外の代替拠点の検討は、いずれも既存の枠組みの対象である。東京一極集中の是正も、1988年の多極分散型国土形成促進法以来、法律と計画が繰り返しつくられてきた。進まなかった理由は、法的根拠の不足ではない。どの機能をどこへ移すかを、政府が決断してこなかったからである。
今回の法律が新しくつくったのは、「副首都」という法的な地位と、指定された道府県に国の機関、交通基盤、税制優遇、規制緩和を重点的に配分する枠組みである。新法の核心は防災の手段ではなく、特定地域への支援制度の創設にある。防災は、既存制度で相当程度対応できた。必要性の説明がこの区別を曖昧にしたまま進んだことが、審議で「生煮え」「穴だらけ」と批判された理由でもある。
期限が先、中身は後
立法過程を振り返ると、順序の逆転はさらにはっきりする。2025年10月の自民・維新の連立政権合意書には、副首都法案を今国会で成立させると明記された。成立の期限が先に決まり、中身はその後の調整で削られていった。副首都指定の要件とされていた特別区の設置は「大阪ありき」との批判で外れ、都構想の住民投票を大阪府全域に広げる付則は、憲法92条違反の指摘を受けて提出直前に削除された。維新が大阪都構想のために組み込んだ仕掛けは相次いで失われたが、「今国会成立」の期限だけは最後まで守られた。
都構想との法的な接続は弱まり、防災上の中身は白紙が多く、費用は不明である。それでも与党は会期を延長し、住民投票と地方選の期間が「重複しないように最大限調整する」との附帯決議で野党と折り合い、2票差で押し切った。この経過は、法律の中身よりも「成立させた」という事実そのものが目的になっていた可能性を示している。連立合意の履行という自民党側の事情と、看板政策の実績を必要とする維新側の事情が重なり、期限優先の立法を支えた。
成立したからこそ検証できる
実際のところ、「目的は成立自体だった」という見立ては、仮説にすぎない。しかし、この仮説は、成立したからこそ、これから検証できる。判定の材料は少なくとも三つある。
- 政令と基本方針の中身。 法律は公布から3か月以内に施行され、政府は1年以内に基本方針を策定するとされる。既存の政府業務継続計画で足りない点を特定し、どの機能をどの地域へどう分散するかを具体的に示せるなら、この法律は防災・国土政策として意味を持つ。
- 指定のプロセス。 副首都には大阪のほか福岡、愛知、札幌が関心を示す。福岡県知事は成立当日、県と福岡市、北九州市が「三本の矢」となって指定に向けた取り組みを加速すると表明し、愛知でも知事と名古屋市長が会見した。複数地域の比較検討が実際に行われるのか、それとも10年前から準備を進めてきた大阪の指定が事実上先に決まっているのか。
- 大阪都構想との距離。 吉村・維新代表は成立当日の夜、附帯決議にかかわらず、3度目の住民投票と来春の統一地方選の同日実施を目指すと改めて表明した。副首都法の運用が都構想の政治日程に従属していくなら、防災という看板は名目だったことになる。
法律は成立した。問われるのはここからである。1年以内に策定される基本方針が、最初の判断材料になる。

