神栖市長選の「まんじゅうや」票が問う自書式投票

2025年11月、茨城県神栖市長選で2人の候補者が1万6724票ずつを獲得し、まったくの同数となった。くじ引きで一方の当選が決まったが、票の再点検によって結果が逆転するという異例の事態が起きた。

くじで当選した候補の票として数えられていた2票が無効とされたのである。もう一方の候補の票も1票が無効となったため、県選管の再点検後の得票は1万6722票と1万6723票。わずか1票差で当落が入れ替わり、県選管は当選を無効と裁決した。

問題となった2枚の投票用紙には、「まんじゅうや」「だんごさん」とだけ書かれていた。こうした有効か無効かの判断が難しい票は、『疑問票』と呼ばれる。

市選管は当初、この2票を、くじで当選した候補への有効票としていたが、県選管は無効と判断した。当選無効とされた候補は、県選管の裁決の取り消しを求めて東京高裁に提訴したが、2026年9月3日、東京高裁も県選管の判断を支持した。「まんじゅうや」「だんごさん」は店や食品を示す普通名詞であり、候補者本人を指す呼び名として広く通用していたとはいえない、という理由である。

ニックネームは有効票になるのか

では、候補者の正式な名前と少しでも違えば、すべて無効になるのか。いや、そうではないのだ。

公職選挙法は、候補者一人の氏名を投票用紙に自書するよう求める一方、有権者の意思が明白なら、できるだけ投票を有効にするよう定めている。漢字を少し間違えたり、平仮名で書いたりした。姓だけ、あるいは名だけを書いた。それでも誰への投票なのかが明らかなら、その一票を救う。

ここまでは当然の話である。問題は、その先にある。

1975年の新潟県旧両津市議選では、「ホンテン」とだけ書かれた1票の扱いが争われた。酒造業を営む候補者の家は「柴田本店」と呼ばれ、本人も長年「ほんてん」の名で広く知られていた。東京高裁は、氏名に代わるほど通用している通称だとして、この票を有効と判断した。一方、「サカヤ」「酒や」と書かれた票は、職業を表すにすぎないとして無効にした。

2005年の徳島県鳴門市議選では、「バンド ヒゲ」と書かれた1票が有効とされた。「バンド」は、候補者の姓「バンドウ」から「ウ」が抜けた誤記である。そして「ヒゲ」は、本人が長年トレードマークとして使い、市民の間で通称になっていた。高松高裁は、この二つを合わせた記載だと判断したのである。

有権者の一票を無駄にしないという裁判所の考えは理解できる。ただ、名前の誤字や脱字を救うことと、名前とは別の呼び名を「候補者の氏名」として扱うことは、同じではない。

どの程度知られていれば、ニックネームが氏名に代わる通称になるのか。法律には、どこまで広まればよいかという具体的な基準は示されていない。そのため疑問票が争われると、候補者が地域で何と呼ばれていたか、どの程度知られていたかまで、選挙後に調べなければならなくなる。

その判断によって、首長が入れ替わることさえある。これは誰にとっても分かりやすく、公平な仕組みといえるだろうか。

ここで、一つの疑問が浮かぶ。そもそも問題は、通称の線引きだけなのだろうか。なぜ日本は、投票用紙に候補者名を自ら書く方式を続けているのか。

自書式投票と記号式投票の違い

問題の根本にあるのは、候補者名や政党名を有権者が自ら書く自書式投票である。候補者名が印刷されていない投票用紙に一から名前を書くため、誤字や脱字、判読できない文字だけでなく、「ヒゲ」のような呼び名を記した票まで生まれる。その結果、開票する側には、書かれた文字から誰への一票なのかを推理するような作業が求められる。

海外では、候補者名が印刷された投票用紙にしるしをつける方式が一般的である。通常の投票では、イギリスは候補者名の横にバツ印カナダは丸い欄に印をつけるオーストラリアの下院選では、候補者名の横に希望順位を書く方式だ。

米国には、投票用紙に印刷されていない候補者名を書き込むライトイン票(追記投票)もある。扱いは州によって異なり、多くの州では候補者側の事前の届け出が必要となっている。これは、印刷された候補者名から選ぶ投票を補う仕組みであり、日本の自書式とは異なる。通常の国政選挙で、候補者名や政党名を自ら書く方式を原則とする日本は、国際的に見て極めて珍しい存在なのだ。

ならば、海外に倣って投票用紙に候補者名をあらかじめ印刷し、投票したい候補者の欄にしるしを付ける記号式に移ってみてはどうだろうか。「まんじゅうや」が誰を指すのかを、選挙後に調べる必要はなくなる。文字を書くことが難しい人の負担も軽くなり、無効票を減らせるのではないか。

もちろん、記号式も万能ではない。候補者が多い場合のレイアウト、掲載順の公平性、視覚障碍者への対応など、制度設計の工夫は必要である。それでも、有権者が意思を示しやすく、開票する側もその意思を確認しやすい仕組みに変える価値はあるはずだ。

衆院選の記号式投票はなぜ撤回されたのか

実は、衆院選も一度は記号式へ移るはずだった。1994年の政治改革で、衆院選を記号式にする法律が成立した。しかし、一度も実施されないまま、1995年に自書式へ戻したのだ。衆院選と参院選で方式が違えば混乱する。候補者や政党が多いと投票用紙から探しにくい。立候補の届け出締め切り後の印刷が選管の重い負担になる――こうした理由が挙げられた。

いずれも実務上の課題ではある。しかし、30年以上がたった今も、克服できない問題なのだろうか。制度や技術の工夫によって改善できるのではないか。

神戸市など、すでに市長選の当日投票で記号式を採用している自治体もある。つまり、できない仕組みではないのだ。ただし現行法では、地方選挙でも期日前投票や不在者投票は自書式のままである。記号式を期日前投票や国政選挙にも広げるには、法改正が必要になる。

神栖市長選を、「まんじゅうや」票をめぐる珍しい話で終わらせてはならない。私たちは、なぜ今も名前を書いて投票しているのか。そのために生じる曖昧さと負担を、これからも受け入れるのか。問われているのは一票の読み方ではなく、投票制度そのものである。

参考資料