2026年9月9日、中道改革連合が党を解体する方針を正式に決めた。旧立憲民主党系は新党結成を目指し、旧公明党系は公明党へ戻る。ただし、党は国会議員1人を残して当面存続し、正式な解党は債務整理を待つ。ところが、衆院では統一会派「中道」を組み、大きな塊(かたまり)は残すというのだ。政党としての中道は終わらせるが、政治構想は残す。いったい、何が変わるのだろうか。
考えてみると、この党の難しさは「中道」という言葉にあったのかもしれない。保守とリベラルの橋渡しなのか、それとも単なる中間なのか。対立を避ける政治姿勢なのか。暮らしを優先する人間主義の政治なのか。それとも、高市政権に代わる受け皿なのか。支持者の数だけ「中道」があったと言いたくなるほど、異なる期待を抱かせる曖昧な看板だった。
しかし、政治には具体的な政策や選択が必要になる。原発の再稼働をどこまで認め、将来はどうするのか。辺野古の基地建設は進めるのか、中止するのか。政府の安全保障政策のどこまでを認めるのか。答えを示せば、支持者それぞれの期待との違いも明らかになる。だからこそ、「中道」という言葉で違いを曖昧にせず、なぜそうするのかを説明する。それが、支持を求める側の責任ではないか。
公明党側には、結集の軸が明確にあった。人間主義を土台に政策の5本柱を掲げ、それに賛同する人を集める。斉藤鉄夫氏は結党時、そう説明していた。公明党の路線を、より大きな政治勢力へと広げる構想だ。
旧立憲側にも理念はあった。野田佳彦氏は、熟議によって答えを見出し、人間の尊厳を重視すると語った。だが、従来の政策の何を守り、何を変えるのか、その説明は十分だっただろうか。公明党との違いをどう調整するのかも、見えにくかった。
実際、基本政策では、条件付きの原発再稼働を認め、安全保障法制が定める存立危機事態での自国防衛のための自衛権行使を合憲とした。さらに安住淳氏は、政権を担う場合、辺野古の基地建設を止めることは現実的ではないとの趣旨を述べ、立憲の沖縄県連が撤回を求めた。これでは、公明党の従来路線に旧立憲側が歩み寄ったように見えても無理はない。では、立憲が掲げてきた考え方はどうなったのか。
立憲 安住氏の辺野古発言と県連の反発|THE NEWS DIG
政策を変えることが問題なのではない。情勢を見直し、他党と合意することも必要な場合がある。しかし、何を、なぜ変えたのかは説明しなければならない。支持者に対し、変わったことへの理解だけを求めるのは、無理がある。
自民党との距離感も問題だった。新党結成で合意した1月の段階から、斉藤氏は自民党穏健派への働きかけを明かし、自民党との政策上の連携も視野に入れていた。では、連立を離れ、新党をつくって、自民党政治の何を変えようとしたのか。それが見えにくかった。
他党との協力はあって当然だ。だが、自民党政治の何を問題とし、何なら協力できるのかが見えなければ、有権者は選びようがない。自らの政策や政治姿勢を明確に説明しなければ、高市政権を批判するだけだと受け取られかねない。協力の相手を広げる一方で、その条件を十分に示さない姿勢が、有権者には誠実さを欠くものと映ったのではないか。
今回の統一会派構想はどうだろうか。党の決定は、国会運営だけでなく、政策立案や選挙活動を含む政治活動で最大限協力するというものだ。小川淳也代表は、一つの党から二つの党へ形を変えて、中道勢力の拡大を目指すと説明した。
では、なぜ解党するのか。協力関係を広く維持するなら、党を分けることで何が解決するのか。支持が広がらなかった原因が「中道」という曖昧な枠組みにあるのなら、それを会派として残す理由は見えてこない。
会派は国会内で活動を共にする集まりであり、政党と異なり、政策の違いを残して組むこともできる。それでも、政策も選挙も広く協力するなら、どこまで共通の責任を負うのか。参院を含む合流が実現しないからと分かれ、選挙では一つの勢力として支持を求める。その説明だけで、有権者の納得が得られるだろうか。
必要なのは、一度きちんと分かれることである。旧立憲側も公明党も、これまでの判断を見直し、それぞれの政策を明確にする。その上で、物価対策でも社会保障でも、一致する政策について協力すればよい。共通点と相違点が見えてこそ、有権者も判断できる。







